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中之島の歴史
第07回 グレートシティ・オオサカ
 明治36年(1903年)に、大阪で第5回内国勧業博覧会が開催。 それを機会に、交通や道路整備など大阪の市街地の改善が行われた。近代的な建物や施設が誕生しはじめていたのも、その頃である。中之島にある、中央公会堂(1903年)や、日本銀行大阪支店(1903年)、図書館(1904年)などがその一例だ。

 そして、大阪に本格的に近代都市の波が押し寄せてくるのは、1920年代から30年代にかけてである。大正14年(1925年)、大阪市は第二次市域拡張を行い、東成郡、西成郡を編入。その年の第2回国勢調査で、大阪市の人口は200万人を突破。 東京市を抜き、日本一の大都市となる。「大大阪(だいおおさか)」の誕生である。

 この時代の市政を担当したのが、第7代大阪市長の関一(せきはじめ)。彼は次々と都市基盤の整備を遂行する。 中でも、御堂筋の拡張整備と、高速度鉄道(地下鉄)の建設は画期的であった。当時の御堂筋は淡路町から長堀川に至り、幅も3間ぐらいで細く(5.4m)、まっすぐではなかった。 関一は御堂筋を現在の43.6m幅(約24間)に拡張し、その下に日本初の公営地下鉄を走らせたのである。

 「大大阪」はモダン大阪とも表現される。モダンとは現代的、当世風の意味だが、ここでは「近代的」と表現するのが最適だろう。近世・江戸時代の大阪の街づくりは、大阪城に通じる東西の通りがメーン・ストリート。それを御堂筋の拡張と、地下鉄運行(梅田〜心斎橋間)により、南北軸が中心の街へと生まれ変わったのである。
近世城下町から近代都市「大大阪」への大転換であった。

 それは、住まいと職場、店舗と工場が混在する街から、都心部はビジネスセンターへ、郊外を住宅地とする都市政策でもあった。都心部では中之島界隈を中心に、ビジネス拠点としての近代的なビル建設がなされる。
中之島モダニズムの誕生だ。


※主な参考資料 大阪府の歴史・山川出版
月刊「大阪人」vol.59 (2005年10月発行)
太陽 No313(1987.11発行)


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